「チャンスはすべて“フリースタイル”で掴んできた」“築地の人造ラップマシーン” FRANKENロングインタビュー 前編

フリースタイルダンジョン出演をきっかけに注目を浴びるラッパーも多い中、今一番シーンを賑わせているのが、“築地の人造ラップマシーン” ことフランケンさんではないでしょうか。放送は2017年8月8日でしたが、持ち前の高速ラップと独特のラインで、多くのヘッズたちに衝撃を残しました。それに続くSNSの発信で、放送から3ヶ月経った今も、その勢いはとどまることを知りません。そんなフランケンさんの活動に迫るべく、お話を伺いました。

誰彼構わずフリースタイルを仕掛けていた学生時代

—築地で仕事をされながら、メディアなどでずっと活動されてきたんですよね。ラップでのご活動はいつ頃から始められたのでしょうか。

ラップを始めたのは、学生だった16歳の頃ですね。HIP HOPがすごく好きだったから、英語を学びたいと思って、高校を卒業してから、外国語の専門学校に入りました。アメリカに留学しようと思っていて、両親の許可も取って大学も決めて……と進めていたんだけど、そのときちょうどCDのリリースが決まったんですよ。それが21歳くらいのときだったかな。
アメリカに行ってしまったら、これまで頑張ってきたことが無駄になってしまうな…と。だから、自分でもわがままだったな、とは思うんですが、アメリカの大学をキャンセルして、フリーターになりました。寿司屋でバイトをして、それが終わったらセブンイレブンで働いて……そうやって働きながら、ずっとラップを続けてきたんです。

今思うと、高校時代の時はひどかったですね(笑)登校しながら、会う人会う人にフリースタイルを仕掛けてました。先生に会うやいなや、「おはようございます!始まりました、俺がフランケン!」とか言って。

—(笑)

専門学校に行ってからも、変わらず先生とかにフリースタイルを仕掛けてました。一番自分のテンションが盛り上がっていた時は、自分の地元の駅前で、通る人ひとりひとりに声かけてフリースタイルしたりなんかして。僕は楽曲メインで音楽活動をしているつもりなんだけど、チャンスをつかむ手段がすべてフリースタイルだったんですよね。僕が初めてレコーディングをしたのは18歳くらいの時だったんだけど、ちょうど遊びに行ったイベントで、DJ CASHさんが「青山蜂」で回していたんですよ。彼は敏腕プロデューサーとしても有名で、m-floのプロデュースも手掛けているような人です。そのとき俺はHIP HOPが好きすぎちゃって、どこでもフリースタイルをやっていたくらいだったから、CASHさんがDJを終えてステージから降りてきた瞬間にフリースタイルを仕掛けて、そのままラップし続けたんですよ。そしたらその後、先輩づてに、「あのフランケンっていうMCやばいな、今度会いたい」とCASHさんが言ってくれて、初めてスタジオに行ってレコーディングをしたんです。

—本当にフリースタイルでチャンスを掴んでますね。

でもそのあと順風満帆にCDリリース、とはいかなかったんです。いざレコーディングに行ったら、初めてだったから下手くそすぎて、「これじゃダメだ」と見捨てられてしまったんです。
そのままでは終われない、と思って、1日1曲、毎日曲を作るようになりました。洋楽のインストを使って家でレコーディングをして、毎週7曲入ったMDをCASHさんの家に持って行ったんですよ。CASHさんもそれを聞いてダメ出しをしてくれました。1年経って、「スキルも上達してきたし、君の粘り勝ちだよ」と言ってもらえて、ようやく改めてレコーディングをするチャンスをもらった、という感じです。

レコーディングの最中にも、テレビ番組を3年間やってたんですよ。「ラップニュース」って言って、その日の新聞を、早口ラップ調で読むというコーナーでした。そのプロデューサーと知り合ったのもやっぱりフリースタイル。イベントにこういうプロデューサーが来ている、という話を聞いて、ライブが終わったあとその人をトイレに呼び出して、トイレの隅っこでずっとフリースタイルをしてたんですよ。「君やばいね、一回話がしたい」と言ってもらえた結果、ラップの企画を立ち上げることになりました。
それとはまた別の企画で、「若年性地下事情」っていう、若手アーティストを紹介するインタビュー番組にも出させてもらったり、2006年、2008年とアルバムも2枚出したりしたんですけど、自分の露出が増えるに従って、いろんなリスナーの人に音源の評価をされるようになってきて。周りの意見を全部真に受けて、気に病んでしまった時期もありました。でも何かにすがってでも頑張りたい、と言うがむしゃらな気持ちはずっとありましたね。

—そういうフランケンさんのチャンスをものにするストイックさ、若い子たちが聞いたらびっくりするんじゃないですか。

そうですね……自分でもかなりハードだったと思います。憧れの先輩とライブご一緒した時は、自分の持ち時間が5分しかなくても、チケット30枚売ったりね。

-フランケンさんの当時の経験は、最近のSNSでのバズにもすごい生きているんじゃないですか。Twitterは手軽である分、発信も雑になりがちですが、フランケンさんはすごく丁寧で血が通っていると思います。

僕はペンを持つと、かっこよくしたいなと思って、ついデフォルメしたような感じのことを書いてしまったりするんですよね。でもフリースタイルだと、直球で感情移入できるので、嘘がつけないんです。ましてや早口でやってるから。だから「感じたままにやっているフリースタイル」って言ってるし、気持ちもこもってるんだと思いますよ。でも数字とかを気にして、楽しくできなくなったら終わりだな、と。バイブスはお客さんにも、SNSを見ている人にも伝わると思いますしね。

フリースタイルダンジョンに出て、HIP HOPシーンの見方が変わった

−フリースタイルダンジョンに出た時の心境をお聞かせいただけますか?

僕もここ最近、バトルには全然出ていなかったのですが、ダンジョンは見ていて、「みんなやべえな、バトルうまいな」と思っていて……そうしたらオファーをいただけました。何で声をかけていただいたのかは正直わからないのですが、ラジオも含め10年くらいメディアに出てきたから、「フランケンがまだやってるぞ!」と思っていただけたのかもしれません。出演自体にも戸惑いは全くありませんでした。
そこから出演に向けて練習しようかと思っていたんですが、やっぱりダメなんですよね。練習するって決めちゃうとやれなくて。だから当日まで策略とかネタとか、何も考えず、本番前に控え室で友達とサイファーしただけ。頭で考えちゃうとダメなんですよ。本能の赴くままに、瞬間のドラマで戦っていった方が、僕はいいものができると思っています。
負けた瞬間はやっぱりショックでしたね。なんだかんだ勝てるんじゃないかと思ってしまっていましたし。でもやっぱり出てよかったなと思うし、番組のスタッフさんや呼んでくれたZeebraさんにも感謝しています。

—ずっとHIP HOPが好きで携わっていた方が、こうして脚光を浴びられる、フリースタイルダンジョンっていい番組なんだなとお話を伺って改めて思いました。

それにやっぱりダンジョンに出て景色が変わりましたよ。特に、今のHIP HOPシーンの見方が変わりました。これだけ色んなラッパーがいる中で、自分の立場でどうやって活動していくかを、改めて考えるきっかけになりましたね。一番大きいのは、露出が増えたことで、ファンの方々の意見をもらえるようになったことでしょうか。僕は結構参考にしてるんですよ。

【後編に続く】

(聞き手:motoz 構成・文:Yasco. KANEKO THE FULLTIME)

▼FRANKENさんの新曲、「ごめん、凄い好き」が”次世代”音源バトル・MIC WARsに参加中!
https://micwars.jp/?v=CpLGKOKiZl0