「ピエロになったとしても、笑って生きていきたい」ゆうまーるBP代表・ゆうまインタビュー

2月17日、戦極MC Battle第17章が大盛況の中、幕を閉じました。各地の予選で、数々のプレイヤーが参戦ししのぎを削る中、一風変わったスタイルを見せつけ、当日も会場を大いに盛り上げたMC、ゆうまさん。高度な「下ネタ」ライムが彼のスタイルの大きな特徴ですが、10年以上のキャリアの中で今のスタイルに至った経緯や、彼が代表を務める「ゆうまーるBP」への想いについて、お話を伺いました。

「MCバトルがやりたいです」「じゃあ、やってみようか」って言って始まったのが、戦慄MCバトル

—MCバトルに出始めたきっかけは何だったんでしょうか。

もともと僕、高校生の頃は役者になりたかったんです。演劇部や小さい役者の事務所に入ったりもしていて。いわゆる“陰キャ”だったんですけど、目立ちたい気持ちは人一倍ありました。一方でラップもずっと好きだったんですよ。KICK THE CAN CREWの大ファンでした。
でもラップってどう始めていいかわからなくて、見よう見まねで演劇にも取り入れたりしたんですけど、あまりうまくいかなくて。そんな時、2006年の10月くらいに、クラスメイトが2005年のUMBのDVDを貸してくれたんです。それでバトルが面白い、と思ってUMBのWebサイトを見たら、ちょうど東京予選のエントリーをやってたんですよ。だからラップできないけど、とにかく出てやろう、と思って。

—その東京予選はいかがでしたか。

ダメレコのCUTEさんに当たって、1回戦でボコボコにやられてしまいました。でも、それよりも悔しかったのは、偶然同じ学校のやつにそれを見られてしまったんです。
僕、高校1年くらいの時に、クラスでいじられ役…というか、いじめに近いキツめのいじられ方をされてたんです。東京予選は当時深夜帯だったし、誰にもばれないだろうと思って行ったら、僕をいじっていたクラスメイトが会場にいたんですよ。彼は当時かなり強かったラッパーの弟だったらしく、兄ちゃんの応援に来てたんですが、入場待ちのお客さんの横から出演者パスを貼って入ろうとしたら、「おい、なんでお前がいるの!? ラップできるの?」って声かけられて。
逃げるように中に入ったんですけど、そいつから「俺も出たかったんだけど、エントリー漏れしたんだよね。俺、自分の名前売りたいとか思ってないから、『ゆうま』ってMCネームでいいから代わりに出させてよ」って言われたんです……それは無理、って断りましたけど、自分のことをかなりキツくいじってたようなやつだし、怖いじゃないですか。それで結局ステージの上でボコボコにされて。だからそれを見られてしまったことのほうが、負けたことより悔しかった。

—その時もう嫌にならなかったですか。

嫌でしたよ(笑)。次の日学校に行ったら、当然その噂が広まってて、「おい、エセラップやってみろよ」っていじられるし。特にそいつには合わせる顔もないですよね。
でも不思議なもので、僕、2007年3月の横浜準予選にまたエントリーしてたんです。その場にはSHOW THE NO.1さんもいたし、KMCさんやGOTITさんもいて、優勝がY.A.Sさん。僕はまた1回戦負けでしたが。

▼SHOW THE NO.1さんも出場していた、「戦慄MC BATTLE Vol.20 1回戦ダイジェスト(11.10 .30)」

—初めてMCバトルで勝ったのはいつですか。

その年の5月に、新宿でやっていたWinners MC Battleでサグっぽい人相手に勝ちました。
その時はスタイルとかもなくとにかく必死で……みんなが思う下手のレベルを超えた下手だったと思います。見た目も、当時はいかついB-BOYが多い中で、「ギャル男になりきれない痛い男子」みたいな感じでしたし。
その頃がバトルの出始めで、ラップの活動が本格化したのは、飛ぶ教室を組むことになるFizzと出会ってからですかね。

▼いじめじゃないの/飛ぶ教室(Fizz & ゆうま) 【MV】

—大学に入ってから本格的に活動を始められたんですね。

そうですね、大学デビューしたくて、実は飲みサーに入っていたんですけど、そこに7色のエクステを付けている不思議な雰囲気の友達がいて……彼は童子-Tに憧れていたらしいんですけど(笑)、彼に紹介してもらって、GALAXY(※早稲田大学の音楽サークル。RHYMESTERやKEN THE 390、TARO SOULなどが所属していた)に入りました。

—戦慄MCバトルも始まった頃でしょうか。

戦慄は……その頃浦和BASEでBLUE RINGってイベントがあったんですよ。mixiで出演者を募集していて、僕もそこでライブさせてもらったんですけど、そのイベントを運営していた主催者の方に「ゆうまくんはどんなイベントやりたい?」と聞かれて、「MCバトルがやりたいです」「じゃあ、やってみようか」って言って始まったのが、戦慄MCバトル。

—じゃあゆうまさんが発案者なんですか!

実は(笑)。でも僕は外せない用事があって、第1回は欠席しました(笑)。でもFizzが第1回優勝者ですよ。

今は「優勝」よりも価値のあるものがたくさんある

—大学時代はどのようなスタイルでラップされていたんですか。

当時僕は、自分の大学生活を歌うことこそがリアルだと思っていたので、ひたすら大学についての曲ばかり作っていました。テキーラ7杯飲んでステージに立って、ひたすら大学の文句を言う、っていう(笑)
当時飲みサーに入っていて知り合いが多かったこともあって、集客だけはめちゃめちゃできたんですよ。それで現場や自分のライブに、普通の友達を呼んだりしていたんですけど、当時はいかつい人しかいなかったから、友達がドン引きしちゃうこともまあまあありましたね。共演者にも「お前がガチな友達連れてくるからイベントが変な空気になるだろ」って言われたりして。

—楽しいこともありつつ、今のお話のようにハードなこともあるわけじゃないですか。ラップやフリースタイルバトルに、もう出たくないと思った時期はありましたか。

バトルは大嫌いですよ(笑)。でも辞めたいと思ったことはないですね。あるとしたら逆にここ2・3年くらい。それも辞めようというのではなくて。ずる賢く、出る数を調整しよう……っていうニュアンスが大きくて。出すぎると自分の価値が下がるんじゃないかとか、手の内がバレちゃうとか、しっかり練習して最高の状態で出たい、とか考えているから、ちょっとずるいんですけど。

—嫌いと言いながらも、なぜそこまでMCバトルに惹きつけられたんですか。

やっぱり毎年見ていた年末のUMBグラチャンへの憧れは大きいです。あと僕、9年間優勝ができなかったんですよ。
よく「みんな辞めてったけど俺はまだやってるぜ!」って楽曲で言う人がいますけど、僕の中ではそれ嘘なんですよ。歳が近い人や、昔から現場にいた人でいうとTK da 黒ぶちさんや黄猿くん……誰も辞めないし、むしろ僕の順番が回ってこないから早く辞めてくれ!って思うくらい(笑)
そうやって周りに抜かれてしまっているのを感じ始めて、10年目になってようやくちゃんと考えてみたときに、僕はサイファーや練習の量が圧倒的に少なかったな、ということに気づきました。あとバトルの時、いつもお酒を飲んでステージに立ってたんですよ。だからお酒が上手く回って、いい感じに韻がはまれば勝てる、っていう勝負をしてしまっていて。だからバトルの時はお酒を飲まない(笑)ことと、しっかり準備・練習して優勝しよう、と思って、ゆうまーるBPを始めたんです。

—ちなみに……「BP」ってどういう意味ですか?

「Battle Practice」です(笑)。黄猿君の奥さんのayakeruがつけてくれたんですけどね。当時僕、「ゆうまーる」っていうYoutuberみたいなこともやっていたので、それと合わせてゆうまーるBP。

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—Youtuberといい、戦慄のお話といい、かなり先駆者的な部分がありますね。

そう、演劇でラップをするのもそうだし、ラップのWSや授業もやっていたし、意外と先取りしていたのかもしれません。下ネタラップも、もうすぐ流行りますよ(笑)

—(笑)。今では「ゆうまーるBP」はかなりの大所帯だと思いますが、どんな形で発足したんですか。

「僕のバトル練習に誰か付き合ってくれませんか」ってTwitterで募集をしたんです。単純に「今年こそは自分が優勝したい」って気持ちで始めたから、1対1でやろうかな、くらいの気持ちだったんですが、TUMAとかけーご、9forとか若い子中心に9人くらい集まっちゃったんですよ。そのあともどんどん「参加したいです」っていう人から連絡をもらっていたから、「もう1回開催しようか……」なんて言っているうちにどんどん人が増えて、今の形になりました(笑)

今ではLINEグループは300人くらいいますし、年代もバラバラで、高校生の子もたくさんいます。さすがに僕も29歳だから、高校生の子とかとはなかなか上手く話せない部分もあるんですが、気がついたら僕の後輩—23〜25歳くらいの子達が彼らの先輩になってまとめてくれていて。だからすごくいいグループなんですよね。

—現在、そうしたコミュニティもある状況で、昔と比べてラップとの付き合い方は変わりましたか。

そうですね。昔はある種、はけ口的な部分もあったと思います。それでも、ラップを使って言いたいことを言えるようになったのが、自分の中では大きな変化でした。その後、ライブでギャランティをいただいたり、WSや授業をやらせていただいたりするようになった頃に、ひとつ意識の変革はありました。
直近ではやっぱり「ゆうまーるBP」の存在で変わった部分は大きいですね。自分に後輩ができて、後輩に後輩ができて。あと、勉強とかでもそうかもしれないですけど、結果を出すために「頑張る」っていいな、と感じられるようになりました。
あと偉そうになっちゃいますけど、後輩たちの成長を見るのは楽しいですね。来たばかりの頃はうじうじ愚痴ばっかり言ってたやつが、後輩ができて堂々としているのはとても嬉しいですし、誰かが大きいステージに立つ時にみんなでそれを応援できるのも、また嬉しいな、と思います。

—「ゆうまーるBP」の今後のビジョンはありますか。

早く辞めたいです(笑)。半分冗談、半分本気ですけど、もともと自分の練習のために始めたことなんで。今は優勝とかするより、後輩の成長した姿とか、みんなで誰かを応援するとか、それよりも楽しいものがいっぱいあるし、僕は大粒Fightでも優勝させてもらったし。それに、今やバトルもたくさんあるから、優勝だけが価値あるものでもないですよね。第20回くらいから、そういうことを言ってたんですけど、前回のイベントでついに40回になってしまいました。スタジオ練習の後の打ち上げで、みんなが冗談で「50回目指して頑張りましょう!」とか言うから、「やめてくれよ」って言ってたんだけど、いよいよ冗談じゃなくなってきた(笑)。

—「成長を見る」というお話がありましたが、プレイヤーマインドは今後も持ち続けていかれますか。

今まで、僕はずっと自分が優勝することにこだわっていたんですけど、「ゆうまーるBP」にはラップを始めたばかりの子がたくさん来るんです。そういう子がうまくなって活躍しているのを見たときに、一時期「あ、これ俺幸せだな」って思って、ちょっと後ろに引いたことがあったんですよ。「今は自分が舞台に立つことよりも、彼らが勝つのを見るのが幸せです」とか言ってたことがあって。そしたら後輩たちが「ゆうまさん、それはダメっすよ! まだそっち側に行くのは早いです!」って言ってきてくれて。
だから、僕はプレイヤーです。僕が舐められるのはキャラ的にも仕方ないけど、「ゆうまーるBP」にいる彼らが舐められるのは嫌ですし。いつも僕はイベントで酔っ払って、みんなにタクシーにぶち込まれたりするんですけど、いいリーダーではなくて、そういうダメな代表でいたいですね。

「ラップだからカッコつけなきゃ」を捨てた先にあったのが今のスタイル

—現在のゆうまさんのスタイルについて聞かせてください。もともと、ゆうまさんはすごく真面目な人だと思ってたんですよ。それが「渋谷サイファー祭り」(2017年3月開催)で、ものすごい完成度の高い下ネタラップが出てきて驚いたんですけど、その切り替えの部分ってあったんでしょうか。

▼ゆうまさんが下ネタを否定している「ゆうまーる-UMB東京予選2015【結果報告】」

▼ゆうま VS Dragon One 渋谷サイファー祭り

昔から見ていた人は、変わったなって思うかもしれないですね。Youtubeでよく見られている戦極6章のバトルとか。

でも、先ほども話に出た初勝利したバトルでも、実は下ネタを言って勝ったし、その当時から「リポビタンD」と「しこり足んねえ」で韻を踏んだりしてたんですよ。男子校育ちなこともあって、もともと下ネタは言うし……それを、「ラップだからカッコつけなきゃ、女の人も見てるからあからさまなことを言ったらいけない」とかって制御していた部分があったんだと思います。
ある時、ゆうまーるBPの仲間やGASHIMAくん(WHITE JAM)とかと一緒に、24時間サイファーし続ける、みたいな練習をしていたんですが、その中で、こういうラップをしている方が自分も楽しいし、周りも楽しんでくれているし、ありのままを出せるな、と気づいてこっちの方向に振り切った、っていうだけです。なので自分の中では、大きく変えたっていう感覚はないんですよね。それを実際に人前でやってみたら、負けてしまったけどお客さんもすごく盛り上がってくれて。昔の自分は、カッコつけすぎだったな……と。

今若い子たちのラップを見ていても、みんなカッコつけるのが好きだなって思います。私立に通っているような育ちのいい子でも、ラップになった途端に「ストリート育ち」とか言い始めたり……。もっと「母ちゃんの飯が美味い」とか言ったらいいのにって思うし、僕がサイファーの輪に入っていくと、みんな一斉に下ネタ言い始めたりするんですよ(笑)。「それが本来のお前たちの姿だろ!」っていう。

そういう子たちが求めている「カッコいい」って、フィクションじゃないですか。僕はKダブシャインさんが好きで、「リアルなのがヒップホップ」って聞いてたから、大学で体験したことをそのままリリックにして、悩みを聞いてもらうようなラップをしていたけど、今彼らにとって、ラップはそういうツールではないんだな、と思います。

—悩みやコンプレックスをコアにするのには勇気がいりますよね。

僕なんかコンプレックスの塊ですよ。昔でいえば引っ込み思案だったし、それでも目立ちたいから演劇やったりして、バトルもキャラじゃないのに出たりして。

—人前に出る人を大別すると2通りいて、「中心人物になりやすくて目立つのも好き」という人と「控えめだけどどこかに目立ちたい欲がある」っていうタイプがあると思うんですが、ゆうまさんは後者ということですよね。そういうゆうまさんが、バトルで負けたり、あるいは失敗したりすることもあるでしょうし、その中で活動を続けているのはすごいことだと思うのですが、人前に出る、っていう立ち位置にい続けられるマインドはどこから来るのでしょうか。

小さい頃から目立ちたがりではあったんですけど、その頃はすごく単純で、クラスの中で誰よりも早くアイウエオの詩を覚えて発表するとか、流行ってるハイパーヨーヨーの技を誰よりも先に覚えて披露するとか、そういうことで目立てたんですよね。でも、中学くらいから、そういうやつをみんながハブるようになってきて、ストレートに目立てなくなってきたんです。
でも、先ほど話した、高校の頃にクラスメイトからキツいいじられ方をされていた時も、「これがいじめだ」って思いたくなかったんですよ。だから「そんなのやめろよ!」って真正面からいうんじゃなくて、あくまで笑っていたかったし、なんだったらみんなを楽しませていたいし、負けたくなかった。だから、みんなの期待通りか、期待以上を出して、ピエロになったとしても笑って生きて行きたい、っていう想いがあります。今もネットでガンガン叩かれるし、陰で色々言う人だっていると思いますけど、それに真面目に返しちゃいけないなって。エンタメとして笑ってもらえるように、ちょっとひねくれて返したいっていうのはありますよね。

こういうことを考えるようになったのは母のおかげで、感謝半分・恨み半分なんですけど、母がKinKi Kidsのファンだったんです。小学校の時からコンサートに連れて行かれて、あんな質の高いエンタメを見せられたら影響受けるじゃないですか。その憧れの対象がいつの間にか、KICK THE CAN CREWに変わっていただけで、そのおかげでいつまでも人を楽しませることや、大舞台に対する夢があるし、いつまでも辞められない(笑)
ラップでは、やっとカッコつけずに、本当の自分が見せられるようになってきたし、それで周りを楽しませたり、それに伴う韻も踏んだりできるようになりました(笑)。自分のことを嫌いな人もいっぱいいると思いますけど、「カッコいい」ことはみんなに任せておいて、気にせず自分らしくやり続けていきたいですね。

(聞き手:KANEKO THE FULLTIME Yasco. 構成・文:Yasco.)

▼ゆうま Profile

ひらがなで、ゆうま。
別名、韻を踏むペニス。

MCバトル練習会ゆうまーるBPの主催者であり、彼の練習会には300人以上のメンバーが参加している。